Takechang の冗談半分 #150  92/ 9/ 6 13:33

続 残暑

土日に家にいても,暑いのでただごろごろしている。

平日も残業規制とかであまり遅くまで会社にいなくなった。

ということで,気がつけば,いわゆるヒマ,余暇というものがある状況になってきている。でも,このまえ1983年ころ以来,久しく忘れていた残業のない状況なので,なかなかそれを楽しむって状況にはいかない。

どちらかというと,残業がないから,収入の目減りがある,それをどうしようとかいう状況である。

こないだ,会社である古手の課長と話をしていて,ちょっとおもしろい話を聞いた。

こういうとき,男は暇を持て余してパチンコするぐらいしかないが,女では,アルバイト,それも水商売のアルバイトをやるヒトが必ずでる,というのだ。

そうすると昼間の仕事に差し障りがあるから,労務管理が仕事のこの人の場合,ナヤミのタネだということ,中には本業逆転するひともけっこう出るということなど,「いまのところ,今回はオレのところにはいないみたいだけど,これからまたでるよ。」グチまじりにそんなことを話してくれた。

まあ,ドイツなどでも就労時間を減らしていった時期そんなようなことだった,と聞いたことがある。

1年目,収入のメベリが不安で,何とかかせごうと休日や夜間のアルバイトを探すヒトが多かった。2年目,人々は休みにやる事がなくてブラブラしていた。

ようやく,3年目になって趣味の活動や旅行などに時間をさく人が増えてきて今のような状況になってきた,というような話だったと思う。

だからして,これもいわゆる先進国というところが通った道,我々もあるていど時間がたたなければ馴染めないものなのかもしれない。

日本の場合,ある程度の周期で小さな不況期がやってきても,余暇を楽しむ,なんてのを覚えるヒマがないうちにまたイソガシ,イソガシの生活になってしまっていたのだと思う。

僕の経験で言えば,1983年ころ,その前の残業月160時間(これはだいたい普通の就労時間の2倍ということで,当然?給与も2倍もらっていた)から一気にゼロになったことがあった。

時間があるようになってよかったハズだが,それまでの収入をあてにして買い込んだクルマやバイクのローンで,めちゃくちゃ生活が苦しかったことだけ覚えている。

それも,かれこれ1年程度でまた元通り。その後はまた最近まで同様の生活が続いたわけだ。

考えてみれば,よほどのオカネモチで働かなくてもいい場合をのぞけば,たいていは就労時間と収入はかなりダイレクトに連動するわけだから,余暇がある状態と,金銭的に余裕がある状態というのはどちらかと言えば背反する訳である。

だからして,時間が増えた初期というものは,金銭的にキビシイのはあたりまえなのだ。

ただ,一昨日発表された7月の貿易収支黒字は過去最高であって,とても国内ニュースで「日立が3000人一時帰休」,「ビクターが3000人削減」,「日産経常収支赤字転落の見込み」なんていう暗いニュースばっかの国とは思えないみたいだ。
(もっとも,これは国内が不況のために輸入が減っているし,国内でモノが売れないのを輸出でカバーしようということのためらしい。けっしていい状況ではないようなのだが,果たして外からみたらどう思われているのだろうか。)

とにかくこれからはどうも過去のようなやたらに仕事がある状況ではないようだし,国内の都合ばかりではないから,否応なしに仕事はへっていく事はキマリな感じがする。

だとすれば,どうするか。いつまでもヒマを持て余していてもしょうがない。

学校を出た頃にはやりたいことがあって,親の家が丘の上に建っていていつも風が強かったのでここに風力ジェネレータを作ろうとか,2TGEU(これは昔のトヨタのDOHCエンジン。その頃は排ガス規制でDOHCが無くなって,ほとんど唯一になっていた)エンジンをつんだバンを作ろう,とかゆーのが夢だったっけ。

いまはまた同じって訳にもいかないから,またなんかイキガイってのを見つけないといけないのだろう。

やりたいことが好きな事,やってて疲れないことが一番いいわけだ。

あと,仲間。僕の場合,半Uターン状態のようなおかしなことになっているので,新しくイナカで仲間はいないし,学生時代の仲間とは疎遠になっているし,平日の仕事仲間とはプライベートにはつきあわない。

いま,GVMでは電話線のさきに仲間がいる訳だけれど,みんな遠くなのでなかなか集まってどうの,といったことはやりにくい。

比較的,近くにいて,いつでも会えるような仲間ってのが必要だと思う。

TAKECHANG

Takechang の冗談半分 #150  92/ 9/ 6 13:33