Takechang の冗談半分 #333  93/ 3/14 18:41

最後の出勤

昔,小指を立てて「私はコレで会社をやめました……」というCMがはやったことがある。

ぼくの場合も「コレ」の部分が日付の意味であればそういうことだ。

先週で会社をやめた。

それからしばらく引っ越しや整理などでゴタゴタした日が続いたが,今日ようやく落ちついてきたところである。

やめた理由はいろいろ。

一番最初の理由はやはり7年も家族と離ればなれの生活をしてきて,「いつまでもこんなことをしていられるか?」と思い始めたこと。

子どもたちもあと数年もすれば「お父さん」よりは「おニイさん」のがよくなってしまうだろう。

毎週「暁の超特急」をやるのもそろそろトシ?で,たいへんさを感じだしたこともある。

「そろそろシオ時だなあ。」漠然と考え始めていた昨年,仕事の内容が変わった。

新しい仕事はどうひいきしても老体?にムチ打って夜明けの高速を駆けつける魅力に欠ける気がした。ここで,一気にやめる気になった。

それでも,10何年かやってきた仕事をやめて新しい仕事に馴染めるのだろうか。少なくも一時収入がなくなる。特に蓄えがあってやめる訳ではないのだから,暮らして行けるのだろうか。

会社の体制が二転三転して,相談できる上司というのがなくなった。新しい仕事がどんどんと増えてくる。

いろんな事がやめることをやめさせようとする。あるいは,決心をにぶらせる。

実は昨年の6月ごろGVMの仲間にはやめる宣言?をしてしまって「エライもんだ」だの「思い切りがいい」だの言われていたけれど,その後いろいろな事で悩んだ。
(その割には,頭のミカケはあまり変わらなくてよかった。)

とにかくぼく自身と家族は約1年前にはすでにやめることについて同意して,その後について検討をはじめた。

その後,バブル崩壊が表面化してきて,大手企業は途中入社を採らない事態になり,どうやらアルバイト的な仕事をしているしかないことになってきた。

ただ,幸いなことにイナカではバブルの影響は大きくなく,あまりぜいたくを言わなければ職に困るような事はない。

高田さんが「わがままジャーナリズム,やってみませんか」と言ってくれたことで,何というか,こういうアルバイト生活で失いがちな目標のようなものも持つ事ができるようになった。

家族も仕事をしているし,いままでぼくは交通費その他で10万円ぐらいは月によけいにかかっていたから,この分が減らせればアルバイト程度でもなんとか暮らしに困るような事もなかろう。

この点では,トンキラの松本さんと知り合った事も大きい。松本さんのIターン時代,月15万円の土木作業から始めたイナカ生活の事などを聞くうち,ぼくも何とかなりそうだ,やって行けるだろう,という自信のようなものができてきた。


Rubycon Corporation

「よし,本気でやめる。」最終的に決断したのは今年の正月だった。近くの「ルビコン電子」の前のドブ川を渡ってきた(つまり,「ルビコン川を渡る」というデモである)。

去年の6月ぐらいに「秋にはやめる」ことで同意していた上司はすでにいなくなって,ぼくのやめる案件というのは会社の中では宙に浮いた形になってしまっていた。

これをなんとかしなければならない。

新年早々,新しい上司のところにいって,「実は昨年からやめる事にしていたのに,体制が変わってしまって,ウヤムヤになっていた。これ以上待てない」と談判に行った。

「急に何をいう。」「聞いていない。」「次のプロジェクトではお前が必要。」「サラリーマンは課長になってからがオイシイのに,目前の今やめるなど馬鹿だ」などなど,話は堂々めぐりになってしまった。

どこかの会社のように,「明日から来なくていい」と言われるよりはいいのかもしれないが,このごに及んで引き留められても,こっちも居る気をいよいよなくす。

もともとぼくは助っ人としてこの会社に来た訳だから,新しいプロジェクトのことなど知らない。使える人材は育ててきたつもりで,実際ぼくの部下の人はそれなりの実力をつけているはずだ。ぼくの部下の人が使えないというなら,それはぼくの能力がないということでもある。ならばそんな人間はいらないだろう。

などという話を2週間ほど続けた。結局,上司も折れ,なんとか円満に退社できることになったのだった。

会社をやめる場合,だいたいは年休を1カ月ぐらいは残しているから,最後の1カ月ぐらいは会社にでてこない事が多い。

ぼくも台湾行きはその分でやったのだが,その後は次の人との引継その他で,退社日まで勤めにでた。

送別会などが夜続いたけれど,昼間はいつもと何も変わらない。

最後の日,ふだん通りに仕事を終えると,事務の人にハンコや社員証を返した。「じゃあ,」といって事務所を出ようとすると,「本当に明日から来ないんですね……」と,部下だった人。途中入社で彼がやってきてからずっと一緒に仕事をしてきたから,ちょっと感傷があったのかもしれない。

「うん,じゃあ」とぼくはエレベータに乗り込んだ。


ということで,いまのところ,ぼくはプータローのオヤジだけれど,GVMへの関わり方は変わらないし,画像関係もこれまで同様にどんどんやって行くつもりである。

今後ともよろしく。

竹中 俊

Takechang の冗談半分 #333  93/ 3/14 18:41