Takechang の冗談半分 #548  994/ 5/22 22:47

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BS94を振りかえって

今年のテーマになっていた「オープン」ということと,実際の展示の整合についていろいろ疑問を書いてきたが,最後にまとめを行ってみよう。

まず,「マルチメディア化とは,情報が個人に集まること」というのは編集長の高田さんによる定義だが,BS94を見ていると,日本におけるマルチメディアの発展はどうもそれと逆の方向に,すなわちより会社指向にあるのではないか,と感じたことをレポートした。

これについてもう少し詳細に考えてみると,それがすなわち「日本は……」と言われるそもそもの内容なのだと気がついた。

BSでデモされていたオンディマンド等の話も会社の中でどう使うかというような話ばかりである。これは,なぜそうかといえば,システム(ハードウエア)は(仕様書通りに)作ってみたけど,それをどう使ったらいいかは考え付かない,または考えない。

でも何もやらないわけには行かないから,一番考えやすい,会社周辺で起こることをネタにしておきましょうや,というのがああいうデモになったのではないかと思う。

で,本当はどうしたらいいかが分からないから,オトーサン達は深刻な表情でBSにやってくるわけだ。

のだが,実は「どうしたらいいか」の答をみんながだれかが考えてくれる,と思っているが,よく見れば日本人のだれも自分で考えていないというのが状況なのではないだろうか。だから,アメリカの小さなベンチャー企業との提携に日本の大企業がやっきになっていたりするわけである。

このあたりがアメリカ式や台湾式,韓国式と大きく事なる点だと思う。彼等は,「だれもやってくれなければ自分でやる」のだし,それどころか「誰かがやる前に俺がやる」のである。

だから,マルチメディアという海のものとも山のものとも分からない産業に夢を持った人々が集まる。自分達の未来を自分達の技術に託す。他人のおこぼれでやっていこうとするわけではない。

日本の状況はどうかといえば,なんだかしらんが海の向こうが騒がしいようだ,いまのうちにツバをつけておかないとワシの取り分がなくなる,だから騒ぐということだけなのではないだろうか。つまり,なんとか人のフンドシにしがみつていい目を見よう的態度だけしかないのである。

この10年か20年位の間,ハードウエアを作りさえすれば買ってくれて,使い方は相手が考えてくれる時代が続いて,日本人は完璧に切れてしまったのでは? と日本人として寂しくなる。

本田宗一郎「やらまいか!」

昔は,たとえば本田宗一郎さんがホンダを起こしたころの浜松には,だれも作ってくれない,作ってないからやろうや,という「やらまいか(やってみましょう)」の気風がみちあふれていたわけだし,実際のところ戦後の日本経済が発展したというのはこういうことが底にあったからで,決して昔から日本人は必ず人のフンドシで仕事してきたり創造性皆無だったわけではないと思うのだが。

いったい,我々がそういう精神を忘れてしまったのはいつからなのだろうか。

結局のところ,今回のBSではハードウエアは新しいものができてきていたものの,たとえばネットワークならネットワークをどう運用する,どう使うという点では見た限り新しい提案というものはなされていなかったように思う。

日本は最高のハードウエアを供給さえしてれば,ソフトはアメリカが作ってくれる,と思っていても,アメリカだっていつも「くれる」わけではないし,液晶の例で説明したように,ハードウエアだって,いつまでも日本が最高だという保証はない。

長期化した不況からいつ抜け出せるか,というような話がいまだに新聞やテレビの話題であるが,こういう我々のやり方が招いている不況だとしたら,抜け出すなんてことがあるのだろうか,考え方を変えない限りないのではないか,と思うのである。

竹中 俊

Takechang の冗談半分 #548  994/ 5/22 22:47