Takechang の冗談半分 #565  94/ 6/15 23:30

プータロー日記 117>
オンディマンドとブロードキャスト

さて,いまさらのような話かもしれないけど,情報スーパーハイウエイについていくつか考えたことがあるので,それについて書いてみたい。

まず,情報スーパーハイウエイというと,なんとなく世界の共通インフラストラクチャのような感じがするが,本当はこれは National Information Infrastructure というのが正式の名前であることだ。

よく考えてみれば当り前の事なのだが,なんとなく「情報スーパーハイウエイ」といわれてしまうと世界共通のインフラをつくろうみたいな,なんだかユナイテッドネイションズ的話のような感じがするが,そうではなくてこれは基本的にアメリカ国内の話なのである。

それに世界中?がのっかろうというわけである。あるいは,日本がのっかろうという話。そのためには,こっちかたも何にもなしってわけには行かないというのが,昨今の動きなわけだということで,日本でも情報高速道路を作ろうという話が盛んである。

でもって,書こうとしたらすでに高田さんが書いてしまっていたネタであるが,アメリカのハイウエイ(高速道路)はタダである。

ところによっては,地震ですぐ落ちてしまうような作りだけど,でもやたら広くてふだんは快適なあの道路がタダ,だからしてアタマに「情報」とついてもタダ,というのはやっぱりアメリカの国民的コンセンサスなんじゃないか,という気がする。日本のハイウエイは建設資金が返せたらタダにする,とかいうことを最初に首都高ができたころの広報に書いてあったそうだが,そうなら首都高なんぞはとっくの昔にタダになってよさそうなものなのに,これがタダどころかどんどん高くなっていく。

「なんで」と言ったら「新しい高速道路の計画があるかぎり,そっちに資金を運用するからタダになるなんてありえない。だいいち,タダでは公団職員の給与も払えない」というシカケだ。

ということは,日本ではこっちの高速道路(情報ハイウエイ)もできたが最後,延々と料金を払って払ってなどとも考えてみたりする。こりゃ,結局は日本じゃあ建設族が次のネタを探したって話なんじゃないの,とまた疑ってみたりもする。

いや,この高速道路には,車と違ってどう使うかという問題も大いにあるわな,とも思う。

この前の合宿で出版社のTさんがさかんに疑問を投げておられたのは,「オンディマンドというけれども,果たして編集なしのメディアというものがいいのか?」ということである。一方コンピュータメーカーのUさんははっきりと「それでいいのだ」とバカボンのパパ状態だった。

今の雑誌というのは,編集者の手が入って,必ずしも読者が読みたい記事だけが送られているわけではないけれど,そのことが重要で,必要なのか,そんなことは必要ない,欲しいものだけが得られる自由がようやくマルチメディアによってユーザの手に渡ったのか。どっちだろうという議論で,結構白熱した。

僕はそのときは読者のヒガミもあり,結局雑誌やさんは提供者としてメディアが変わっても生き残って行きたいわけで,そのとき従来の手法が通用しなくなることを恐れているんだ。あるいはいまだったら,1冊の雑誌には欲しいものも欲しくないものも含まれている,ファミコンソフトなみのバンドリング販売になっているわけだから,欲しいものだけを買って貰っていたんではもうからないと思っているのかな,などと思ったものだ。

結論として,やはりオンディマンドってのでいいんじゃないの,と思ったものだ。つまり,コンピュータメーカのUさん寄りの立場だ。

でも,帰ってきて子供あいての仕事をしていると「そうでもないかな」という気もしてきた。

彼らにオンディマンド方式でたとえば授業をしたらどうなるか,というとある特定の好きな教科だけをやるようになってしまう。ほかの事は全然やらないからそっちの能力はまるでないということになる。

まあ,これはいいのかもしれない。今の日本人はまんべんなくどれも適当に判らないけど(あ,じゃなくて適当に判るといわなくてはいけないか),本当はある能力だけがやたらにできるなんて状況もあっていいと思う。ということはディマンドを出せる人はオンディマンドで問題ないのだろう。

本当に困るのは,半分ぐらいは外からの圧力が無いと何もしない,つまりディマンドがない,ということだ。外圧がなければしたいと思うことがない層というのがそうとういる。この層にもやはり何かを知って貰いたいとすれば,つまり,いまのようなバンドリング販売式の方法しかない。

それが,編集者の手のかかった雑誌であり,TVやラジオといった放送であるわけだ。

いまや「旧メディア」であるこれらだが,案外手口としては的を射ている部分があるのだと思った。

今後マルチメディアの手法もいろいろ考え出されると思うが,自分で送りだしたい人だけが考えるとこのような問題がおきるのかもしれない。

送りたくも受けたくもない多くの人がいて,この人たちを巻き込まなくてはメディアとしては成立しないことを忘れてしまうきらいがあるのである。少し前にVANがニューメディアと言われていて,でも結局は雑誌を脅かしもできていないというのは,そういう部分の配慮が足りなかった部分もあるのかもしれない。

さすがに歴戦の編集者であるTさんの発言はこのあたりを考えていたのだな,と最近思っている。

竹中 俊

Takechang の冗談半分 #565  94/ 6/15 23:30