Takechang の冗談半分 #444 | 93/ 9/11 10:23 |
最近,僕の英語の先生と話していて,印象的だったことがあるので,紹介しよう。
彼に教わるクラスは9月末まで。10月からはまた4月に戻って同じレベルのクラスが始まる。最初15人いた受講生はいま7人。夏休みまでは10人ぐらいだったが,その後歩留まり50%を割った。
とにかく半年頑張ってきた人達なわけで,また4月に戻るのはつまらない,さりとてほかにいい習う先がない,さてどうしよう,というような話が最近の話題である。
英語の先生に話すと,「僕は9月までの契約だから,10月以降はわからない」というし,「多分,ここの講師はやめて,また予備校に戻る」ということだ。
「僕自身は,県のクラスに入れてもらったからいいけど,あれは昼間だから,いまのクラスに来ている人達はほとんどが行きたくても行けないんです。」「それに県のクラスはボランティアの通訳を養成する目的だから,結構きびしいし」と僕が言うと,
「そうでしょうね,目的がはっきりしていれば6ヶ月でももう少しいろいろできたのだけどね」と先生がいった。
僕は,クラスに入ったとき「アメリカ取材で,記者会見やなんかで話ができるようになりたい」と言った。これが僕の英語を習う目的である。
ほかには「なんとなく……」という人が多かったようだ。「なんとなく……。」「ただ習ってみたくて……」という人は多い。写真クラブの時もそうだった。
ただ「去年のクラブの作品展を見て,写真というものを撮ってみたくなった」などの動機が多い。「孫が大きくなる記録を撮りたくて。」「花の写真を撮りたい」といった目的のある人は大勢の中の小数派である。
日本人の「お稽古ごと」というのは,だいたいこのスタイルであるように思う。
だから,「基本的な技術はマスターした(けどただそれだけ)」で終わってしまう。
だいたい「英語!」とワメくのには女のヒトが多くて,若ければ嫁入り道具,40代ならばヒマつぶし,といった感じだろうか。
英国人の先生に言わせると,「目的もなしに(高価な教室代を払って)勉強にくるなんてことは考えられない」という。
「ただなんとなく英語をやるとかっこいいかも知れない……?」というだけで習いにくるから,ちょっとつまづくともう止めてしまう。月謝は前払いなのだから,豪勢なものだ。残った僕らは同じカネで2倍習わせてもらえるからありがたいのだが。
とにかく,みんなが行くから高校に行き,親が言うから大学に行ったというようなのの延長で,ただ「なんとなく」生きてる日本人が多いのではないだろうか(それでも,習いに来るのは当然まだましなヒトなのである)。
なんとなくやっても人生なら,目的を持っても人生である。どおせぜんぶあわせても長くて70年か80年ぐらいしかない。そのうち,本当に活動できるのは長くて50年,まあ40年ぐらいではないだろうか。
それを有効に使わない,なんとなく派が多数の日本人は,いくら長生きでも,やはり必死で生きている連中には勝てまいと思うのである。
どうも,日本の時代なんてものはなかったし,これからもないのではないか。
英語教室からとんだところに話がいってしまった。
竹中 俊
Takechang の冗談半分 #444 | 93/ 9/11 10:23 |