Takechang の冗談半分 #393 | 93/ 6/14 23:41 |
「山根一眞の日本の大技術」。土曜,日曜とお昼にBS2で放送されていたが,ご覧になっただろうか。
基本的には現在も週間ポストで連載されている「新マエストロ名匠列伝」で過去に連載された内容である。
やはり映像(写真)はいい。週刊誌の対談ふう連載では今一つ内容がつかみにくかった事,実際のようすなどがつかみやすい。
いづれも世界一の連発である。それどころか,その会社の,その人しかできないとかいうのもある。
精度0.02ミクロン!!という硬度計用ダイヤモンド圧子などはそうだ。
これを極端な例として,超精密(で,巨大だったり,小さかったりする。大きいからラフということはまったくなく,たとえば明石海峡大橋の橋脚のブロックは40ミクロンの精度である)技術を突き詰めていくと必ず一人のマエストロ名匠にたどりつく。
精密機械で量産されている大元はやはり匠の技だったのである。
0.3mm径の超精密ネジを押し出す精密金型の仕上げは表面精度1ミクロンである。この精度をどうやってだしているかというと,おばさんの長年のカンによる研磨なのである。このことそのものは賞賛に値するものだ。
これが1つの特徴。
もう1つ,世紀の大技術を支える特徴は,膨大な周辺技術とそのまた高度な技術。日本の技術の特徴である,すそ野の広さということだ。
羽田空港をヘドロの海の上につくる技術というのは,なまはんかなものでない。もちろん表面に見える技術はヘドロに砂柱を打って乾燥させるような土木技術である。
しかし,この砂柱を打つ機械は機械技術の結晶である。また,一晩で固まるコンクリートミルクなどは化学技術の結晶,常時沈降量を測定し,不等沈降があれば,すぐさまその部分をジャッキアップする技術などは土木,機械,電子,ソフトウエアのマルチ技術の集大成であるといえる。
すべての科学技術,産業がバランスよく発達してはじめて,それの連携を必要とするこのような巨大技術が可能になる。
以前GVで物議をかもした?日本の自叙伝の場合は電子技術という1つの技術にスポットがあてられたものであるが,実は日本で発達しているのはそれだけではないということなのである。
それだけ総合的に優れた日本の技術ということができる。
いっぽう,これは一人勝ちの技術ということだ。
何でもかんでも世界一の技術が日本にある。日本の力を合わせたものだけで,(極端にいえば)どんな分野でも世界一のものができてしまう。
日本人にとっては本当にありがたいことであると思う。何でもかんでもイチバンいいものが日本で手にはいる。
だけど日本人以外の人にとっては,おもしろくもなんともないのではないか。
何でもかんでも日本がイチバン。アメリカの粋を集めた技術,ドイツの粋を集めた技術が2番目3番目,しかもどの分野でも。となったら,アメリカやドイツの人はおもしろいだろうか。台湾や韓国,英国やフランスの人はどうか。
逆に日本が2番目3番目であった事を考えてみればいい。
太平洋戦争というのは,自分じゃあ偉いと思っているのに,常に5番目10番目としか見られなくって「おもしろくなかった日本」が起こした戦争である,というとらえ方ができるのではないだろうか。
個人ベースで考えてみても,俺は平凡な男だ,だけど釣りをさせたら村じゃあイチバンというような,なんか「オレはこれ」というのがあるでしょう。
逆に,何でもかんでも人より劣るというのを感じさせられた,というのが多くの非行のもとになっている。
逆の意味で「勝ちをゆずる」ことのできない一人勝ちの人もまた人と共存できない。
国レベルでいえば,いかに「よその国の取り分」を残して行けるか。あるいはよその会社の取り分をのこしていけるか。
このことがこれからの日本の課題であると思う。何でもかんでも日本,とか小さくいえばオレとか,ウチの会社というのはもうダメなのである。
政治の腐敗ということが言われるがこれも同様である。何でもかんでもオレのところに橋も道路も空港もなくてもいいではないか。
橋をかけたら,道路はほかのところでつくってもらえばいいのではないか。
小さいところから大きいところまで,何でも覇権主義を変えていく事ができるか。
大げさかもしれないが,このことにこれからの日本がかかっているのではないだろうか。なんでもかんでも1等賞という「日本の大技術」をみて,こんなことを考えた。
竹中 俊
Takechang の冗談半分 #393 | 93/ 6/14 23:41 |