Takechang の冗談半分 #405 | 93/ 7/ 1 17:13 |
以前,肖像権の話に少し触れたが,あの時はほとんど資料もなく,知識も皆無にちかい状態で,ほとんど想像でものをいうしかなかった。
その後,知識のある人に教えてもらったり,自分で調べたりして,ある程度の事がわかってきたので,ここらでもういちどまとめておきたいと思う。
最近,この点に関して新聞で興味深い記事を見た。
朝日新聞6月27日付けの「読者と新聞」らんの紙面審議会の6月のテーマに関するものである。テーマは「新聞の写真」である。
ちょっとバックナンバーになってしまったのだが,この問題について考えるにはできれば一読していただきたいと思う。
いろいろ書いてあるのだが,結論的に,「この問題については,日本には成文化された法律等が存在しない」ことが分かる。
このために,新聞が自主的にカメラマンが守らなければならない写真取材のルールを示した「新写真ノート」を作らなければならなかったり,例のロス疑惑事件の三浦被告が,写真週刊誌などを相手取って起こした訴訟で,必ずしも裁判官の判決が一貫していないようなことがおきてくる。
(三浦氏は写真週刊誌などを相手に幾つかの訴訟を起こしているが,これに対する判決は,ほぼ似た条件と思われるものでも,三浦氏の主張を認めた判決と認めないものとがあり,混乱している。)
朝日新聞(または紙面審議会)の判断は,あくまで,ニュース写真としての価値が,判断の基準となるとし,「報道する価値の高い写真なら,モラルの問題は残しながらも,肖像権,プライバシーなどを優越するのではないか」という意見もあったことを紹介している。
(注:すなわち,この見解は統一的なものではないが,注目するに値するものであった事を示す。)
最終的な社としての態度は,写真をビジュアル化,カラー化を担う重要な柱と位置付け,
の面に留意し,記者教育の面でも徹底を目指している,ということである。
2. については,過去の朝日新聞の珊瑚事件,NHKのネパールだかブータンだかの事件からあげられたものだろう。
ただ,報道目的でない写真の場合はこういうことは(もちろん,天然記念物に危害を加えたり,国際保護動物を持ち込むなどの犯罪的行為は別だが)比較的許容されているようである。
ぼくが,写真クラブに加入した理由に,そのあたりは普通どうなっているのかを知りたいということもあったのだが,例えば風景写真で,前景のススキがじゃまなら,刈り取ってしまったり,取り外せる看板は取ってしまうなどのことは日常的に行われていることのようだ。
あるいは,池の水紋を作るためにわざと石を投げ込むこと,雨上がりや朝露の感じを出すための霧吹きなども,どちらかといえば,奨励されているように見える。
あるいは,わざわざこんなことをしなかったとしても,レンズには披写界深度というものがあり,要するにレンズのピントのあう範囲というものは人間の目とは異なる。
したがって,目では見えているものが写真ではボケていたりということがおきてくる。これも,写したくないものを写さない目的のために使われる。
しかし,余計なものを取り去ることは芸術性のためには必要なことである。
したがって,「レンズはウソをつきません」というCMそれ自体がおお間違いということになる。レンズはウソをつくために使われる(こともある)し,目が真実というなら,どうしてもレンズは真実は写せないのである。ちょっと,本題から外れた。
さて,書籍調査ではどうだろうか。例えば,日本評論社から,そのものずばり「プライバシーにご用心」という本が出ている(木村達也+関根幹雄+木村哲也編著,1700円)。
この内容はいろいろ勉強になることばかりなのだが,プライバシーの権利はアメリカうまれのアメリカ育ち,ということがある。
すでに19世紀後半にアメリカではスキャンダルを売り物にするイエロープレスというものが横行し,それがためにプライバシーの権利の概念がうまれたという。
そして,いまの日本の写真週刊誌やテレビ(のワイドショーなど)はイエロープレスの時代に似ているという。
日本国憲法そして,憲法にはプライバシーの権利という言葉は見つからないが,これを保障した規定としては,
憲法21条2項 :通信の秘密の保護
(余談だが,昨日,英語の先生を送って行ったとき,僕の車にレーダーセンサーがついていたら,英国ではレーダー電波を受信すること自体が違法だと言っていた。日本では,通信の秘密をもらさない限り,いかなる電波も受信そのものは違法ではない。)
憲法35条:住居侵入,捜索,押収に対する保障
憲法38条1項:供述強要の禁止
憲法19条:思想,良心の告白の強制禁止
憲法13条:個人の尊厳あるいは幸福追求権
これらが一般的な根拠規定になるとされている。
プライバシー侵害は犯罪(刑事上の問題)であるかどうかであるが,例えば,住居侵入,信書開披(通信の秘密を侵した場合も含む),秘密漏洩(医師,弁護士などが,職業上知り得た他人の秘密をもらした時)などの犯罪行為を伴う場合をのぞき,犯罪にはあたらない。
したがって,この件に関する保護とは,一般的には被侵害者の親告により民事上の救済措置(不法行為に基づく損害賠償請求)がとられることである。
このあたりは,はっきりと分かっている人は少ないのではないだろうか。
肖像権というのは,このプライバシーの1つとしてある,ということになる。
この場合の根拠は憲法13条:本人の承諾なく写真を撮影されたり,撮影された写真を公表されない権利ということになる。
とはいえ,無制限にこの権利が認められるわけではなく,
が議論されるべきことになる。
目的として肖像権の制約(承諾等なしで撮影することが認められるの)は,国民の知る権利に奉仕する=報道目的となる。
2. の必要性については,一般に犯罪者もしくは被疑者ぐらいで,一般の人がこの理由で肖像権の制約を受けることはない(なお,被疑者等の場合でも,判例は無制限に認めておらず,前述の三浦被告の例では東京地裁が肖像権の侵害を認めた例がある)。
撮影方法の正当性については,いわゆる隠し撮りなどがはっきりした例となる。ただし,銀行などの防犯カメラなどは正当性があるとして一般に認められるものとなっている。
その他,写真撮影に関する判例として興味深いものを1つ引用してみよう。
東京温泉事件:東京地裁判昭和31年8月8日
概要(抜粋):東京温泉で入浴中の米国合唱団員を撮影に行った通信社カメラマンが合唱団員および,ミストルコ(つまりその種の温泉である)を撮影したところ,たまたま居合わせた人2人も撮影対象になった。この写真を「ボンヤリと順番を待つ肥った人……(たまたま居合わせた人を示す)」などのキャプションをつけて,雑誌に掲載。これにたいし,たまたま居合わせた人が社会的信用を失墜し,精神に多大な損害を受けたとしてカメラマンと東京温泉に対し,謝罪広告の掲載および慰謝料を求めて提訴。判決:本件撮影は密かに行われたとは言えず,原告が撮影されることを欲せず拒否あるいは避けようとすれば十分に機会があった。また,右撮影が報道のためであったなどの状況からして,写真が公表されるであろうことは認識しえたであろうと認められる。原告は自己の姿態が撮影された時には公表されることもあるであろうことを黙認したものであり,かつ公表された雑誌の性質およびその方法が特に不穏当であることも認められない。ゆえに右撮影公表をもって被告らの不法行為であるとする主張は理由がない。
要するに,撮られたくないなら,その場で拒否しなさいよ,ということである。撮る側にも撮られる側にも参考になる例だと思う。
以上,今回は主に肖像権について法律などとからめて例をみながら考えてみた。
あと,著作権と写真の問題もあるが,これはまたもう少し勉強して次の機会に書いてみたい。
竹中 俊
Takechang の冗談半分 #405 | 93/ 7/ 1 17:13 |