Takechang の冗談半分 #410  93/ 7/14 23:47

プータロー日記 41>
パソコンを買うこと

日本ではパソコンの売れ行きが鈍ったといわれて久しい。92年の現象かとおもっていたが,そうではなくていま現在もそのようだ。これはパソコンの需要がないということなのだろうか。

僕の回りで見る限りどうもそうではないようである。最近親しくなった人たちの例で見てみよう。

写真屋のおやじさん。このひとはずっと昔にPC-8801を買った。8インチのフロッピードライブが30万円もしたころに買って,いまも押し入れの隅にあるはすだという。

田舎のこととて,NEC HEのTVなんかを扱っていた商店街の家電屋さんから買って,伝票処理などに使おうとしたのだという。

たしかに,パソコン雑誌などをみたら,当時でも何でもできる(はず)というようなバラ色の話が書いてあったと思う。

しかし,結局市販のアプリケーションなどというものは存在しなかったから,自分でベーシックで作るしかない。最初はオンメモリで作ったソフトをテープに入れていたけれど,テープというものは信頼性の低い記録媒体で,すぐリードエラーする。

アタマにきて大枚をはたいて8インチドライブを買った。ソフトのローディングは速くなったが,こんどはでかいソフトができるので,何がなんだかわからなくなった。これは僕もよくわかるのだけど,いわゆるスパゲッティソフトというやつを書いてしまって,書いた本人でもどこがどうなったかわけがわからないというやつである。

で,電気屋に助けを乞いに行っても電気屋が分からない。結局近所で使い方を教えてもらうことができず,パソコンを使うことはあきらめてしまった。

最近,僕の画像デモなどを見て「こんなことができるのなら,また使いたい」という気になっている。写真のデータベースを作るのが夢。

英語の先生のDavidさん。彼は漢字もほとんど読めるぐらい日本語に堪能で,自分の学習塾に来る子供の問題は自分でシャープの日本語ワープロを使って作る。

最近,ワープロにはあきたらなくなって,パソコンが欲しいという。パソコンなら,大きい国語辞典や英和辞書をいれておいて,すぐ引くことができるから,都合がいいのではないか,と考えていたそうだ。

だけど,パソコンは最初からソフトが入ってマニュアルもできていないから難しいのではないか,分からなかったらだれに聞けばいいかわからないから踏み切れなかったという。

パン屋さんのMさん。お客に配るチラシを自分で作りたかったが,パソコンでできるのではないか,と思っていたけど,どこにも教わるところがなくて踏み切れなかったという。ちなみに彼は僕がソフマップで買った中古のダイナブックとアシストワードですでに始めた。

近所の主婦のMさん。この人も,前にいた会社の文書作りのアルバイトをしたいけどパソコンなんて主人に聞いてもわからないし,どこで買ったらいいかもわからないから,どうしたらいいか分からなくて困っていたという。

以上の例で共通しているのは,(使い方などを)教える人の欠如である。そのために潜在的には欲しいのに買うまでに踏み切れない。実はパソコンというものは,こういう潜在需要がかなり大きい商品ではないだろうか。

これで売れないのは結局売り方が悪いのではないかと思う。

つまり,テレビやラジオ,冷蔵庫の売り方をしているから売れないのではないだろうか,ということだ。

これらのように,とにかく商品を渡せばそれで事足れり,としているから自分で理解して使って行ける一部の層にしか売れていないのではないだろうか。

この商品は何の売り方をしなければいけないかといえば,つまりかつてのミシンや編み機の売り方ではないだろうか。

これらの商品では,商品をタダ渡すのではなく,通常は縫いかた教室とか,編み物教室といったのがセットになっている。

で,ゆかたの縫いかただとか,セーターの編みかたなんてのを習って初めて一人前の編み機使いになれたのである(もっとも,最近編み機なんてのが売れるのかどうか知らないが)。

パソコンもこれらと同様,今のところ機械だけあってもほとんど役に立たないしろものである。

かつての編み機やさんというのは,機械代よりもこういった使い方などのソフトの部分でもうけていたり,あるいはそれでお客をつなぎとめて,また次を買ってもらうというような商売をしていたのではないだろうか。

そういう意味で,実はパソコンは衰退していく商店街の個人商店にとって救世主となるべき商品であるはずである。

かつての家電がそうであったように,電気屋のおやじが使い方をとことん説明して,CONFIG.SYSを書いてやり,「このソフトがいいよ」なんて商品をすすめて売る商法にもっとも適した商品であると思う。

この「あとの面倒見」の部分があるからこそ,客はとにかく安いステップでなく,近所の店でパソコンを買う意味があるのである。そして安心してパソコンを買うことができる。

現状はどうかというと,商店街の電気屋のおやじは勉強しない。どこのスーパーでももっと安く売っているようなテレビやビデオを高い値段で売ろうったって買うやつはまれにちがいない。

ビデオの予約もロクにできないジジババが,なんとかそれをたよりにして買うぐらいである。それすらも,ビデオプラスの出現で不要になった。だから商店街の電気屋は売れない。自明である。

なにも,Cやマシン語でソフトを書いてやれというのではない。

いまどき,大抵のニーズは市販ソフトで間に合うのだから,ほんとにせいぜいドライバの組み込みぐらいができればいいだけなのに,勉強しないのだ(こんなことは,才能は不要で,ただ習えばいいだけである)。

これでは商売が衰退するのはあたりまえの話だし,パソコンという商品も売れなくてあたりまえ。

需要がないのではなく,需要をつかもうとしないから売れないのである。

逆に言うと,こういう商売は本来どこの田舎でも成り立つのではないかと思う。かつてどこの町にもブラザーの編み物教室があったように,どこの町にもパソコン教室があって,一太郎や123やWordの使い方を教えていてもいいのではなかろうか。いまや,どこの田舎にも2軒や3軒の小中学生の塾があるようにパソコン教室があるようになれば,1人1台普及してもおかしくない。

そうでないと,結局PDAなどという単に人間ができるかぎり何もおぼえなくてすむやりかたを考えるだけでは,できることには限界があると思う。

また,これは雇用の創出にもなる。NECの工場で機械化により人があまったならば全国津々浦々にパソコンのアドバイザーを送り出せばいいのではないだろうか。

さらに現在,Windowsの普及により特にNECでなくてはならないことは何もなくなってきている。

とにかく第1ラウンドはNECは従来の400ラインの98ソフトと480ラインのWindowsソフトが動く「機械」を作って勝利をおさめたように見える。

しかし,次に本格的にWindowsに移行した場合の事を考えると,それこそ機械はNECの必要などは何もなくなってしまい,結局はアメリカと同様の泥沼の価格競争しかないのではないか。

その時に威力を発揮するのは,アドバイザ部隊の存在ではなかろうか。NECの機械を買いさえすれば,後々まできちんと面倒を見てくれる,ならば,少しぐらいハードウエア代が高かろうとみなNECを買うのではないだろうか。

特に日本人は画一教育の成果で,教わらなければ何もできない国民なのだから,このことが一番効果的なはずだ。

そして,これはほかのメーカーにとっても浮き上がる絶好のチャンスだとおもう。一番早くアドバイザシステムを完備したところが勝つ。特に今,不況で工場に人はいらないのだから,こういうときこそ,必要なところに人を振り向けるチャンスである。このせっかくの好機をどう生かすか,で数年先のメーカーの命運が決まるように思う(おおげさな言い方だが)。

そして,これは英国人のDavidさんも日本人と同じく必要としているソフトなので,案外世界中で通用するのかもしれないとも思う。

竹中 俊

Takechang の冗談半分 #410  93/ 7/14 23:47