Takechang の冗談半分 #408  93/ 7/ 7 23: 8

プータロー日記 39>
シェアの食いつぶし

僕は昔,学生時分から会社員になったころ,随分とテレビを面白いと思って見た記憶がある。当時,俺達ひょうきん族とかをやっていて,すごく面白いと思って,毎週まちどおしくて見たような気がする。

今,僕はプータローで,時間は十分にあるか,またはいつも家にいるから,みたいのがあれば必ず見られる体制である。

なのに,テレビは見なくなってしまった。ま,欠かさず見るのはあって,朝と夕方の「英語であそぼ」は見ているが(マリアのファンだからな)。

なぜ見ないかといえば,要するにおもしろくないから。

夜は何も考えなくてもできるようなクイズか,でなければクサイギャクばかり。

昔のマンネリ化してくる前のタモリのようなすごいギャグなんてのはぜんぜん見られなくなってしまった。

なんかの雑誌で見たと思うのだが,民放局のターゲットは16〜28ぐらいの若い女性なのだとか。若い女というのは,箸が落ちても可笑しいというから,あんな程度のギャクでも笑うということなのだろうか。ナメているな。

NTV,TBS,フジ,朝日とどこのいなかでもネットワークしている局はだいたいこの4つであるが,今朝の8時台の放送というものはどれも,「糸井&樋口ネタ」これだけである。新聞の見出しだけみれば内容が分かってしまうような内容を4局すべてが延々と2時間もやるのだが,こんなものをみたいやつがいると思っているのだろうか。あるいは,見たとしてもまったく同じネタしかないのだから,どこか1つしか見ないわけである。ほかの3つはいわゆる視聴率競争に敗れたということになる。

しかし,こんなバカな競争はないと思う。その時間に糸井&樋口ネタしかみたいやつがいないかというとけっしてそんなことはないのである。

典型的な?話をすれば,このネタはいわゆる奥さん族むけである。しかし,この時間帯にテレビを見られる人はもっといっぱいいるのである。

僕のようなプータローはおもしろければいつだってみれるわけだし,リタイヤしたじいさん,ばあさんなんてのも,この時間に十分ヒマである。

テレビなんてものはいまどき1軒に2台や3台はあるわけだから,ほかのチャネルで見たいものをやっていれば,主婦はTBSで,じいさんは朝日で,ばあさんは日テレ,ガキ(幼稚園まで)はフジとかいろいろな視聴者ができるのである。

主婦よりは,じいさんの動かせるカネは少なかったとしても,CMもじいさんむけのをやれば,じいさんも立派な購買対象で,十分CM効果があるはずだ。

こうすればパイそのものを広げることができるのにもかかわらず,すべての局が若い女という1種類の客層しか見ていない。だから,わざわざ小さいパイに群がって取り合いをしている形になっている。

こんな無意味な?視聴率競争をやっているようでは放送局も先行きたいしたことないのではないか,なんでだれもこういうことを言わないのか? と思っていたのだが,今日の日経産業新聞の「ご意見番」におもしろいことが書いてあった。

先頃,32のチャネルをもつCATV局のチャネルごとの年間平均視聴率が日経エンタテインメント誌に掲載された。

これによると,もっとも視聴率が高いのはNHK総合,以下BS1,BS2と続き,民放キー局はスターチャネル,お天気チャネルといった専門チャネルとほぼ1線でならぶ。つまり,大企業である民放キー局も零細企業である番組供給会社も,視聴率という名の売り上げでは大差ないというのである。

これはあたりまえだと思う。4社あっても(5社のところも多いかもしれない),内容は1つというのだから,おしなべて1局あたりはまともにいった場合の1/4の客しか見ないはずだ。

まあ,このあとご意見番氏の議論は別のところにいっているのだが,とにかくいまのまま,各社1つの電波だったとしても,客層を広げることができるのに怠っているのだ,と僕はいいたい。

NHKが見られるのもあたりまえで,「皆様のNHK」だから幼児向けもじいさんむけも分け隔てなく作るために,民放を見ない層も取り込んでいるのである。

僕のような素人が考えてもあたりまえの方策を取らないのだから,民放が落ち込んでいくのはあたりまえのように思う。

だけど,今まで奇跡の繁栄とかいわれた日本経済だが,このような愚はほかにもいろいろなところにある。今まではバカな事をやっていてもそれをカバーする部分があったから,なんとかやれたのである。

例えば自動車。どんどんでかく高くなっていってしまう。一部の人が望んでいたとしても,そうでない方向をほしい人もそうとうに多いのではないだろうか。

今のカローラと昔のクラウンを比べたら,サイズでも排気量でも,もはやカローラのほうが大きいのである。ほんとうにそんな必要があるのだろうか。今のようにモデルチェンジのたびに大きくなるというのでは際限が無い。でかくなって,その極限で絶滅してしまった恐竜を思い起こしてしまう。

ぼくが買ったドミンゴだって,こんなフザケたエンジンはないと思うのだが,10年モデルチェンジをしないでいるうち,いつの間にかほかの車が巨大になってしまい(ライトエースなんか,当時は1200ccでドミンゴと同じだったのだ),結果としてこのクラスにはこれしかない車になってしまい,こんなとんでもないエンジンでもまだ売れている(もんくたらしの僕でさえ買ってしまった)。

例えばトヨタなんかかつてはミニエースというのがあったのだから,スターレットのエンジンを積んだミニワゴンなんてのをやれば,そこそこいけるのではないだろうか。

どうしてこうなにもかもトコロテンなのだろうか。

トヨタも日産も似たような方向で似たような車を作るなら,トヨタのがマスが大きいぶん安いのだから,結果としてトヨタを買う人がさらに増えるだけである。

PCだって,東芝が早くWin用の256色表示のVGAノートを出していれば,東芝を支持する人もおおかったはずだ。しかし,もう最大手のNECが出してしまって,NECでは256色出るのに東芝は出ない,と言われて初めて慌てるのだろうか。東芝には十分先行できるチャンスがあったはずだのにしなかったのである。

どうも,こういう素人でも分かるようなことをやらないで,自らチャンスをつぶしていったのが,バブル崩壊とか不況とかいうことなのではないだろうか。

そうだとしたら,今不況の業界の不況というのは来るべくして来ただけ,という気がするのである。

竹中 俊

Takechang の冗談半分 #408  93/ 7/ 7 23: 8