Takechang の冗談半分 #493 | 93/12/30 21:15 |
クリスマスから正月にかけて,日本では単純に消費の季節である。
ウチでもガキどもの「セーラムーン」コールに耐えきれず,そのセーラムーンが変身するときに着ける?王冠のようなものだとか,変身用のツエだとかいったものを買わされた。
男の子はどうか家にいないので良く分からないが,女の子では,このセーラムーンというのが,いま一番人気のキャラクターなのだそうだ。
これが,夜のニュースの時間帯に重なっていて,いつもは衛星2チャネルでニュースなのだけど,先日連中がうるさいので,セーラ……のほうを一緒に見てやった。
で,気がついたのであるが,これはパターンが完ぺきに時代劇だ,ということである。いわゆる,お涙ちょうだい系の勧善懲悪ものなのである。
なんたらいうワルモノがいて,毎回どっかで騒動を起こして,その度にセーラ戦士の女の子たちが出向いてやっつけるというパターン。
子供むけということで,あまりバリバリにキメたやつでは受けないから,テキトーに主人公がドジだったり,あんまりめちゃめちゃに強いわけではない(とはいえ最後には必ず勝ってハッピーエンドで終わる)ところとか,アンパンマン系の要素も取り入れられている。あるいは,一人だけのヒーロー(じゃなくてヒロイン)というのも今ウケしないというわけか,集団体制になっている。
だけど,何に一番にているか,といえばこれはやっぱり桃太郎侍ではないだろうか。
キメの言葉が,天にかわってお仕置きよ! → 天にかわって成敗いたす。……であるから,ほとんど時代と性別,年齢が違うだけである。
このキメのセリフを言うために,危機イッパツってところでやってきているくせに,お立ち台みたいなところで回ってみせたり,あるいは鬼の面で踊って見せるなんてのも共通。ほとんどおんなじパターンである。
この種の底流として,勧善懲悪ってのがあって,片方は一方的に善(良い)で,もう1 方は一方的に悪(悪い)ということになっている。
これが,お年寄りから幼児まで,日本人の底流にある考え方で,多くの人が好きだとすると,とても恐いことだと思う。多くの人が好きな事=善とは僕にはとても考えられない。承服できない。非常に一方的な考え方,物事の一面だけですべてを判断するやりかたである。
無くなったはず?の部落だから悪い,朝鮮だから悪い式の発想が底流に色濃く残っていると言い替えてもいいように思う。悪い側に回ったら,一生立ち直れない。
あるいは,いまはやり?の子供達のいじめというのも,こういう事がベースかもしれないとも思う。フツーと違う=悪い,から,いじめる=善という考え方である。
もっとも昔はフツーとちがっても,デキルほうに違っている場合はこのイジメの対象から外されたように思うが,いまはどっちにずれてもイジメの対象になるというのは,いわゆる日本式の民主化の象徴で,一般的な事象の解釈に合わせればホメルべき事?なのであろうか。
対世界の点で考えて,フツーでない人こそ,尊重してのばさなくてはいけないのに,この日本式悪平等システムはつぶそうとする。それも徹底的に。
ついでにいえば,日本の平等システムを悪平等というのは,それが必ずデキの悪いほうよりになっているからで,つまりはデキスギるのをつぶして,フツーのやつもどっちかといえば,もう少し抑えたところにもってきて調和をとろうとするようなところがあるからである。
先日公民館の英語教室に参加したら,「1人の10歩より10人の1歩が必要である」といっていた。要するに,一番デキの悪いのがちょっとだけ覚えるまで全員で足踏みしていなさい,というのである。
こんな考えかたで教えているなら,このクラスでは誰も覚えられないだろうなあ,という気がした。
どう表現すると一番いいのか良く分からないけど,差別と区別とでもいったらいいか,この2つは全く違うのだ。差別というのは,いわゆる部落とかのいわれのないやつ,区別とは,たとえば英語が5〜4の成績のやつと3〜2のやつとは別のクラスで教えるということだ。そして進度に合った教え方をすることが必要で,そうすれば5の人も伸びるし,2の人も伸びるのである。こういうことと,差別とをいっしょくたに考えるのがはびこっているのである。
これはいまだけでなく,今後も日本の国力をそぐ原動力?になるのではないか,と僕は思っている。
談合やなれあい,もちあいのシステムはもう通用しないと言われているが,心底まで日本人が慣れ親しんでしまったそれらのシステムはそう簡単に否定されないのではないだろうか。高田さんがいうように「みんなが望んでんだから,しゃーアンメー」という考え方もあると思うが,僕自身はそれでは本当にみんなで沈んでしまうと思う。赤信号を渡るぐらいなら,みんなで渡れば恐くないかもしれないが,沈む時には,みんなで沈んだって恐いだろうし,恐いぐらいで済むかどうか。
1993年景気が悪かった,来年こそは,というようなことがしばしばTVなどで話題になるが,僕が見る限り,生活水準などの点では今年はそんなに悪くなっていないように思う。残業は減っても,売れないからの値下げで,結構バランスは取れたのではないだろうか。今日なんか,店を見にいったら,例年通りえらく混んでいたけどなあ。
雇用などでも,今年はまだまだ耐えられている時期だし,雇用調整といったって,実行するには半年から1年はかかるのだから,本当に情勢が悪くなるのは,明らかにこれからである。経団連のいうワークシェアリング,みんなで沈めば恐くない方式が通用するものかどうか。
1993年も終わりであるが,どうも来年にもあまり明るい世相を予見できないのである。単純にセーラムーンにからんでおこうと思ったら,なんだか暗い話になってしまった。
竹中 俊
Takechang の冗談半分 #493 | 93/12/30 21:15 |