Takechang の冗談半分 #513  94/ 3/ 7 22: 5

プータロー日記 91>
ハイビジョン狂騒曲の2

こういう時必ず出るのがあの,有名なコピー「ベータマックスは無くなるの?」式のやつである。今回は昨晩NHK TVで行われた番組がまさに「ハイビジョン(MUSE方式の)は無くなるの?」であった。盛んに「我々は,ベータマックスをあきらめない」と訴えた名コピー以降,ベータの衰退は決定的となり,結局,コピーの通り,そしてベータは無くなった,のであるが以来?いろんな技術の衰退の節目節目でこれの類似コピーを目にするようになった。

この番組の論調そのものからしてすでに,「究極的にいいのはデジタルシステムだ」ということだ。むしろ,「え,NHKがこんなこといってていいの?」というぐらい,デジタルがいいことを認めてしまっている。

で,例によって「但し」である。

・デジタルにしたら,電波のバンド幅が今より広くなる(から,損だ)。
・MUSEだって,ほとんどデジタルで,電波の部分のバンドが広すぎるから,そこだけアナログにしてるだけだ。だからMUSEだって半分デジタルである。
うーん,とうなってしまうよね。人をバカにするのもいい加減にせーよ,という発言である。問題にされている部分がまさに流通の部分でアナログだからなのに,それ以外の部分を語るのは,ごまかし以外に何だというつもりだろう?
・業界は数千億をこの技術に投資した。
ユーザにとってそれがなんなの?でありますね! ワシラは業界のツケを払うためにいるわけではない。
・山根一眞さんのコメントがふるっていて,おかしかった。曰く,「今回のようなハイビジョンに対する否定的な意見は悲しい。これにとりくんできた大勢の技術者たちが,ああいう意見を聞くとがっかりする。今の段階でいい悪いの問題ではなく(!これは筆者が付加)新しいテレビを作っていくことが重要なのだ。」
これって,要は「今のハイビジョンはだめ」という意味である。
「だけど,新しい物を生み出す意欲を支えていかなければならない」
だって,ごもっとも。ではあるが,ワシラは殉教者ではないのである。MUSEが続いたって,やっぱりワシラは買わないですよ,それは。ギジツ者の意欲の為に何十万も出せるのは,山根さんのようなお金持ちだけではなかろうか。
・大島渚氏は,何を思ったか,「先からみて今ある物を規制しようと思っても無理なのです。一つの技術を生み出すのには時間がかかる。理念的にこういう風にやれといっても無理なんですよ。」
これは最初何のつもりなのか真意をはかりかねたけれど,結局のところは,山根さんも,大島さんも郵政省に向けての発言をされているのだ,と気がついた。いま急にデジタルと言われたって,急に転換できない,だからデジタルができるまでMUSEをやらしてくれ,あるいはやらしてやってくれ。要は行政に向けてそういう発言をしているわけなのだな,と気がついた。

これはこの番組全体がエンドユーザにむけた「MUSE方式は無くなるの?」という体裁で作られている事からみると,かなり違和感のある事である。

しかし,山根さんと大島さんの発言のシーンは何度もなんどもでてくる。それだけ,重要な内容であるということなのであろう。

ということはエンドユーザむけの体裁を取りながら,実はお役所にむけて,あるいは業界に向けてのメッセージがこの番組なのだ,と受け取れた。

これを見てもやっぱり日本ではエンドユーザというものはなめられているものだなあ,という思いを強くした。業界じゃない人の利益やなんぞというものは,まったく問題にもされないわけだ。

昨晩はチャンネルを変えて,2回連続でこの番組が流れるという,ちょっとふつうでは考えられない番組体制でもあった。NHKがMUSE方式のハイビジョンにいかに危機感をもっているか,そして死守しようとしているかの証拠である。

ではあるが,とにかくいままで育てて来た技術を守ることに必死で,「今のハイビジョンがいい悪いを越えたところにあると思う」なんて言わせてしまうのは恐ろしいことである。ほんとにこんな体制で日本は大丈夫なんだろうか。

これからまだまだ面白い?状況がありそうな,「日本固有技術」ハイビジョンのお話である。

竹中 俊

Takechang の冗談半分 #513  94/ 3/ 7 22: 5