Takechang の冗談半分 #421  93/ 8/ 9 21:42

プータロー日記 45>
敗戦と終戦と

8月の前半は毎年いろいろなことがある時期である。

旧盆の休みと重なり,夏祭りや盆踊りといったものが盛んに行われる。

それに並んで,第二次世界大戦もしくは太平洋戦争といったような関係の,原爆関連から,敗戦ならぬ終戦記念日というのもある。
(無条件降伏というのがどういう理由で終戦なのか,僕には分からない。これが敗戦でなければ,世の中に敗戦などというものは存在しない。ピッチャーの桑田だって終戦投手と言わなければいけないだろう。)

僕はいわゆる「戦争を知らない子供たち」を聞いて育った世代である。

戦争を知らない子供たち

いまやこれだって,戦争を知らない子供たちとわあ,今はお医者さんになっている北山修さんたちがあ……と説明しないと分からない人達の方が多いのかもしれない。

この時期になると,決まって戦争関連の話がTVでも新聞でも報道される。親やじいちゃん世代との話も,決まって「あのころはたいへんだった……」という自慢話になる。

どういうものか,この種の話になると年寄りたちはすべてマゾになって,学校の校庭にもサツマイモを植えて,それのクキまで食べた(今だって,これは健康食品として食べるんだけど)とか,戦争が終わったころは(これまたどういうものか,必ず戦争が終わったころは……と言い,決して戦争に負けたころはといわない人が大半だ。自然現象ではないので,単に始まって終わるものではないはずなのに),どういうわけか,地震が起こったり,大型の台風が来たり,冷害だったりし,その上工業がストップしたために農家の税金がことのほか重く,夜逃げなども頻発した……と自慢げに話すようになる。

怒られるかもしれないが,そういうことを語るお年よりたちって,必ず嬉々として,といったほうがいいくらいの表情になる。

唯一俺達だけが経験したことで,お前達になんか絶対に分からない,すごいエラかったんだゾ(偉いではなくて,大変だとか苦痛だったという意味の方言),わっかんねーだろー,ヤーイ!という優越感めいたものがあるように思う。

大変だった,イヤだった,というなら,なぜ反対しなかったのか,と問うと,これまた必ず,「そういうものだと教育されたから思い込んでいた」とか,「情報が一部の者に握られて俺達には情報がこなかった。」「特高警察が厳しくて,XXさんが拷問にあったから,すぐ殺されたから,恐くて言えなかった」というような答えが返ってくる。

いつの時代も大衆とはそういうものか,変わらないものだなあ,と思う。現代,「あれは,カネマルさんが悪かった」とそのカネマルさんを選んでいた大衆が言うときのずるさと一つも変わらない考え方がそこにある。

カネマルさんが悪かった,教育が,特高警察が……,と他人の悪をいいたてるが,自分がわるかったという姿勢は全くない。

いまこれだけ教育の荒廃が叫ばれている中でも,学校を出れば大抵はそれなりに社会人として機能できるように変わっていく。たかだか小学校や中学程度の教育のやりかたで,その人の一生の考え方が支配されるとは僕には到底思えないのである。

情報操作されて分からなかったというが,毎日戦勝を言い立てていることと,鍋釜まで出さねばならなかったり,松の根っこの油で飛行機を動かしたり,木炭でバスを動かすような状態,コメも野菜もないというのはどうつながるのか,少なくとも疑問が生じないとしたら,ほとんど何も考えていないからとしか考えられない。

これだけ,異常項をもつ資料を毎日ならべてくれるのに,そこから異常のにおいがかげないならば,単にその本人がバカタレなだけである。直接的でないにせよ,戦争にはきっちりまけているのだ,という情報は大量に入っていたのである。

つまり,自分の非を他人になすりつける姿がそこにあるだけだと思う。すぐそれに続いて「それに比べて,今の何でもある世の中にいる若い者は……」と出てくるところがあくまで自分はシラを切りたい姿勢を鮮明にする。

まあ,弁護するべき部分もないわけでもない。江戸以来,おカミにタテツクことは死を意味すると刷り込まれてきた歴史があって,日本人は為政者に従順であるようにできている,あるいはなってしまうということ。
(でも,それならばいまだって同じハズで,たしかに今も同じだ。そんなら,単に同類なだけで,いちいち文句をいわれるスジアイではなかろう。)

また今没落に向かって動いている日本を見ながらやはり我々は何もできないのだろうか,いままでと同じ事なのか,と情けなくてもやっぱり何もできない,余計になさけない……,となかなか晴れない天候と同じで僕もスカっとしない夏を送っている。

竹中 俊

Takechang の冗談半分 #421  93/ 8/ 9 21:42