Takechang の冗談半分 #143 | 92/ 8/23 9:31 |
忘れていたら,昨日家にかえって家族から指摘を受け,また1つ年を取ってしまったことがわかった。
子供の頃は年の数字が増えるのがうれしいし,なんか晴がましいような気もして,うれしかったものだ。
4歳が5歳とかなるとなんだか知らないが「えらいねー」とか言って貰えるし,ケーキが食べられる。(子供の味覚というのは「あまい」と「うまい」にかなり強い相関関係があるので子供はほとんどケーキ好きのようだ。)
こういうのは大体20歳ぐらいまで。とくに20歳ぐらいなどは「おとな」というのがなんかうれしくて,怒られずにサケがのめるとか,タバコが吸えるなんてのもえらくうれしくてしょうがない。自分自身としては昨日と今日でたいして変わるところなどありはしないが,対世間様の問題は大きく変わるというわけだ。
それから,また年の数が増えてくるとどうもそうはいかなくなる。30本も40本もローソクが立ったケーキなんてのもなんかブキミ?な感じだし,大体がただ年をとった,というだけでいいことはあまりない。
賃金がまだ年功制だから,それに応じて上がるのがいいといえばいいか?(誕生日が境ではないが。)
あと,感覚的にはっきりしている(ように思う)ことは,なんだか1日とか,その一瞬の大きさに対する感覚というのが,どんどん短くなってくるような感じがすること。
現実の24時間,1分とかいった時間の長さはなんら変わりはしないのに,体内時間の評価ではどんどん短くなってくるようなのだ。
どうも,この「自分にとっての時間」というのは自分がいままで生きていた時間に対するその時間の比率,といった感じであり,それどころか,自分の生きてきた時間(たとえば年数)を2乗したものに対する比率,といった感じに時間の長さの価値観?といったものの低下率は年々加速するような気がする。
そして,学習効果などについていうと,この比率の数字に対する効果が一定か,もしくは下降する傾向が見られるように思う。
つまり,実時間との対比でいうと,同じ時間に対する効果が加速度的に低下してくる。
このあたりの事は,昔から,「少年老い易く,学成りがたし」とかいうのは,「いま少年のヒトでも,なかなかガクはつかないのに,ましてや,いまチューネンなどの場合は加速効果により更に成りにくい」というふうに意訳される。
というわけで,なかなか身に付かないガクであるが,僕もGVM7に開設された「CNNまるかじり」学習に参加しようと思う。
これはガクというよりも,実際にそれなりに英語が使えないと困るシーンにでくわすことができてきたから。
ほんとは,ガクという意味では一番もっていたはずの学生時分だって,僕はほとんどボキャブラリがなく,そのためにかなり意訳したり,周辺を考えないとわからない程度だったから,今後も当然?そんなにめざましい向上はのぞめないのかもしれない。
でも,やってみます。ただ,今のところCNNをみれる手段がないのが弱点。たぶん,来月ぐらいにはわが家でもCATVが稼働するから,そうなればなんとか……というところである。
それまでは,「ほほー,CNN研究室はバルセロナのバスから国際回線のバスに乗ってきているんですね。バスで,自主トレも自主トイレもできてしまう,と」などと言ってるぐらいしかないか……な?
TAKECHANG
Takechang の冗談半分 #143 | 92/ 8/23 9:31 |