Takechang の冗談半分 #474  93/11/19 0:42

COMDEX 6>
アップル路線のこと

やっと大量の画像のアップロードを終了し,一息ついたところである。

高田さんは,今日もうつぎの目的地に出発なので,昨晩いつものように打ち上げお食事会にでかけた。

Golden Nugget Las Vegas

場所は僕のとまっているダウンタウンの小さなホテルのすぐそばにある,ゴールデンナゲット(金の塊!)とかいう,たぶんダウンタウンでは一番大きなホテル。

いろんな話題が出たが,今回はCOMDEXヘッダーなので,その時の話題で,今回のCOMDEXにからんだ内容の1つについて書いてみよう。

高田さんが読んでいる,アメリカではハイテクについて一番の権威のある新聞だという,サンフランシスコ・クロニクルの見出しは「アップルはエリート路線を捨てた」というものである。

この話の概略は今までにもお知らせしているし,画像でもニュートンやマッキントッシュの戦略機種についてお知らせしている。

Newton MessagePad

ニュートンをDOSマシンと接続することなどはあたりまえの話で,別に違和感はない。

PDAであるニュートンは何かと接続がされなければもともと真価が発揮できないはずで,最初の話で言えば,高田さんのたびのofficeの写真,MYOFFICE.JPG の写真に映っているマシンがニュートンである,というようなコンセプトであったハズだ(実際には,エリクソンのラジオメールシステム,モビデムの付いたHP100である)。

ところが,エリクソンはラジオメールシステムを作り上げたが,アップルは非常に広範囲な提携にもかかわらず,結局今に至ってもこの種のネットワークが影も形もない。したがって,ニュートンは真価を発揮できない。

今できる次善の策としてPCと接続できるようにした,ということである。

これについては,技術的,政治的な問題がそういう状況であるなら,なんとか今を救いたい,ということとして理解できる。

理由付けができないのはQuadra 610のダブル互換機?化である。

Mac ←→ DOSに限らず,昔からダブル互換機というのは実は良く話題に上ったものである。

日本では例のトムキャットマシンというのが(IBM互換機で,かつNEC互換機であるという……)出ては消え,出ては消えした。

もう,この手のマシンは話題にも上らないと思うが,消え去った理由として政治的なものがあるのと同時に技術的には,「もうこんなものいらない」という事がある。

いまや,ハードウエア主導の時代ではなくなっており,たとえばDOS/Vで消え去ると言われていたNECがどっこいしぶとく昔のシェアを確保しているのは,ご存じの通り。

Windows(ソフトウエア)が機種間のいろんな垣根を取り去るから,XXでなければ動かないソフト,なんてものは次第になくなりつつある。

この事は,Mac ←→ DOSマシンの間でも同じ事で,たとえば,MS Wordなどマイクロソフトの主要なアプリケーションはWindowsでもMacでもほぼ同じイメージ,同じ操作性で動くようになっている。

それなのに,なぜ?いまさら? これが今回のポイントである。

技術的には,Mac側は公開されていないが,ISA(DOS)マシンのほうの情報は幾らもあるのだから,Macがこれをやるのはたやすいはずだ。例の高田さんがドイツで会ったという,互換機屋がこれをやるほうが,はるかに技術的には困難であるハズだ。

だから,アップル以外にはいままで難しかったにしても,むしろ必要だったのは,Macでなければ,とかDOSで無ければ,というソフトの多かった昔なのである。

それをいままでやらなかったのが,「エリート路線」であるとするなら,価値がなくなりつつある今時やるのは「敗残路線」ではないのだろうか。

たとえ,マルチタスクで両機種のアプリが同時並行的に動いたとしても,それが意味をもつユーザというのは,どの程度いるのか?

むしろ,このマシンのユーザーは過去のダブル互換機と同様にスイッチして使う事が圧倒的に多いのではないだろうか?

それを知っていて,なおかつこういうものを作るのはどういうつもりなのか?

「僕は分かりません」と言ったら,高田さんからは「そこんところをきちんと判断するのが記者なんだ」といわれた。「このあたりの記事を書いてみなさい」というようなこともあった。

本当のところでは,僕もこれは「マッキントッシュの完全な敗北」の象徴なのだ,と思う。両者のいいとこ取りのためにダブル互換であるなら,こんな486SXなどというような中途半端なものでなくて,なぜせめて486DX50とかいうぐらいの最新プロセッサにしないのか?

ほかのメーカーならあっさり486SXだけでいいものを,Macの影を引きずらざるを得ないがために68040を付けている,みたいなところも感じる。こういう点では,なんだか,昔,NECがV30と80286とダブルプロセッサをやっていたのに似た所もあるような気もする。

それでも,「Macは終わった」と言い切れないのは,どうも僕の中に判官びいき的なところがあって,これだけ大会社でもアップルにはまだそういう所を感じている部分があるのではないのか。

「うーむ,真相は僕もカクレMacオタクだったのか?」打ち上げのワインのせいもあり,よけい考えはこんがらかってしまうのであった。

竹中 俊

Takechang の冗談半分 #474  93/11/19 0:42