Takechang の冗談半分 #503 | 94/ 2/20 1: 4 |
土曜日の京葉線はそれでなくても混んでいる。舞浜(TDL)行きの客が多いからである。僕は幸いにも,折り返し快速になる列車が到着したところに行ったので,うまく座れたが,今日はそれに,みるからにすぐそれと分かる客が増えて,さらに混んでいた。
「見るからに」というのは,たとえばこんな具合である。
昨日発売のMACLIFE誌を広げて声高にしゃべる連中。リンゴマークつきベネトンふう肩掛けカバンを下げた若者。お,目の前では,遅れてやってきたので座れなくて吊革につかまっていた中年スーツ男が,いきなり肩にかけていた黒い革カバンを前に回したと思ったら,いきなりタイプをはじめた。カバンに見えたそれは,実はTP220だったのだ。
IBM ThinkPad(余談だが,この立ちながらタイプすること,はHP100のサイズならなんでもない事だが,TP220では結構むずかしい事である。TP220でこれをやる人を見てしまったのは,ちょっと大げさにいえば,はじめてナオトの笑いながら怒る人を見たときぐらいのインパクトがあった)
で,まあこれらの人びとをのせた京葉快速は舞浜で半分を吐き出し,幕張でのこりのほとんどを吐き出ししたわけである。駅もまた混んでいて,経験上海浜幕張駅で乗り越し清算をしてはならない。いつ果てるともしれない列に並ぶハメになるからである。きちんと切符を買って行った。
僕の住んでいるところからだと,朝どんなに早く家を出ても,幕張着は11時半。MACW Expoはすでに1時間以上前から始まっている。
そのため,レジストレイション・カウンターの混雑はさほどでもなく,ほとんど待つ事無く入場券を手にすることができた。
が,会場内はすでに浅草祭など的人混みになっており,ほとんど通路はイモアライ状態になっていた。
実は,昨年のMACW Expoでも同じ事を報告している。
これは,ほかのPC関係の国内ショー,ビジネスショーやデータショーが近年年を追うごとに規模を縮小していっているように見えることとは著しい対照をなしている。MACW Expo/Tokyoは,年々大きく,盛大になっているのである。
余談だが,千葉市で行われるExpoを東京と言わなければならないのは,今の日本の悲しさである。どこだって,MACWExpo/SFOとか,Bostonとか,その土地の名前を冠しているのに,である。中央集権の国日本では,地元の名前がつけられないのである。
さてMACW Expoだけが,年々大きくなる事実は,どうも世の中の様子と絡めて考えてみると,とてもヘンな事である。「需要拡大はどっかでやってくれればいい事,ウチはとにかく締めて,締めて……」と今の時代に対処しようとする経営者が圧倒的に多いのだから,これはビジネスショーやデータショーの状態が当たり前のはずなのである。しかも,世界的に見れば,Macはソフトとハードが一体となった物から,1つのOSへと変わりつつあり,従ってアップルもハードウエア主体の会社からソフトウエア主体の会社に変わりかかっているというのに,である。
ほとんどお祭の人混みと化した幕張メッセをうろつきながら,僕がずっと考えていたのは,「なぜ,今日本だけがMacなのか?」ということだったのである。
で,ふと気がついたのは,「日本人って,囲われている状態が実は圧倒的に好きなのである」ということ。規制,護送船団,行政指導,どれをとっても囲う,囲われる,の状態でないものはない。
ちまたでも,「XXでないと手に入らない物」「XXX個しかないもの」などを良しとし,愛でる風潮は強い。
でパソコンの場合も,気がついたらこの日本人ごのみの「限定」「囲い込み」方式のやつはMacしかなくなっていたのではないだろうか。
98は? と言われるかも知れない。以前の98はよそのどれよりも強い囲い込みをやって,そのことで日本一売れたPCだったわけだ。つまり一番日本の風土に合った?それこそ互換機のいいぐさのように「国民機」だったのである。
ただ,まずISAマシンの低価格化に対応するため,できるハードはみなISAのものを使うようになった。HDをIDEにするとか,ビデオチップもISAのものを使うとか,98ならではの部分を無くして行ったのである。
そしてソフトウエアの上でも,Windows化によって「98でなければ動かない」ソフトは減る傾向にある。
こうして,98では日本人ごのみの囲いこみ状態は薄れていった。言い替えれば,国民機状態を脱してきた。Macはといえば,箱だけはISA系のものになってきているかもしれないが,プロセッサからしてPCとはちがうのだから,ハードもソフトも独自でしかありえない。言い替えれば,Mac専用のハードで,Mac専用のソフトが動き,もちろんデータだってMac専用のものでなければならぬ。これは早い話が過去に98がやっていた囲い込み方式そのものである。夜の8時にはナショナルのマークが出て水戸黄門が出てこなければならないのと同様なのである。
日本語マシンとしての能力はすでにKT以降十分になっているのだから,これだけそろえばMacに国民機としての資格は十分である。いまや日本に1つのアメリカからやってきた日本の国民機Mac,そいつを見てみんな連帯感を持つためにわざわざ幕張くんだりまで(失礼)10万人もやってくるのではないか? これの囲い込み国民機論というのは8時45分に助さんが印篭を出すのと同様,日本人の安心には欠くべからざるものなのではないか?
そう考えないとMAC Expoだけがのびる状態が説明できないし,逆にそれで,このお祭騒ぎ的ノリを説明できると思う。で,実際にMacそのものも日本では売れているのである。論理的にはISAマシン系のオープン思想というものはいいと思うし正しいとも思うが,正しい事をいつでもみんなが支持するわけではない,という典型のような話なのでは?
そうなると,RISC系のマシンになって,Mac OSがどこのマシンでも動いてしまうような事態になると「日本人の安心」はどこに行ってしまうのか? これはまた新たな問題である。
「うーむ。」人混みの中を歩きながら,僕はしきりと考え込んだのである。
竹中 俊
Takechang の冗談半分 #503 | 94/ 2/20 1: 4 |